命をかけた仏法問答

親鸞聖人荼毘の場所  延仁寺

2010年も終わりに近づいたころ、あのIさんが、肺の癌で入院した。と言う事を聞きました。少し経ってお見舞いに伺ったのですが、この時はお元気で、私が
「Iさん、早く病気を治して、また皆んなで勉強会で住職の話を聞こう!」「来年は、親鸞さんの御遠忌に皆んなで行くんやから。」と言うと頷いてらっしゃいました。

そろそろ帰ろうと、病室から出ると、Iさんはエレベーターまで見送りに来てくださいました。廊下の窓からは東別院の大きなお堂の屋根が見えました。

「Iさん、別院が見えるね。阿弥陀さんが付いてるから頑張って!」

と言うと、間髪入れずに

「何を言ってるか、わしには御開山(親鸞聖人)がついとるのや、大丈夫や!」

と、私は慌てて「そうやった、御開山やったね、わかった!頑張って!!」と返して別れたのでした。



そんな事があってから、しばらくすると、Iさん大分悪い様だ。との知らせがあって、2度目のお見舞いに行った時の事です。

前回とは打って変わり、かなり痩せて、痰を吐こうにもなかなか切れないで苦しんでらっしゃいました。

取り止めのない話をしていると、Iさんが会話の途中に必ず、こう言われるのです。

「なんでこんな事になったのかな?」と。

そんな事を言われたからと言って、私には、それに答える明確な答えはありません。答える事が出来ずに、話を逸らしていると、また言うのです。

「なんでこんな事になったのかな?」と。

私は、思いました。ひょっとしたら、Iさんは自分の命が長くはない事を知っているのではないか?翌年には、親鸞聖人の750回の御遠忌に行くのを楽しみにしていたのにもかかわらず、ひょっとしたら、行けないかもしれない。生きていないかもしれない。


なんと慰めの言葉を言ってみたところで、もうIさんを慰める言葉など、無いのかもしれない。と、漠然と思いました。

次の瞬間。私は言っていました。「Iさん、それは私にもわからんよ。あの世からこちら側の事なら、多少の経験でわかるけど、なんで病気になったのかとか、そんな事は私にもわからんよ」と。素直な気持ちでした。誤魔化しなどこの場で通用しないのだと思いました。

すると、次の瞬間。項垂れていたIさんが、顔を上げて私の目を力強い目で見返して、そして、私の方を指差して

「おう!それや、それやのや!」


わからん!


のです。私達はついついわかったつもりでいます。人生長く生きていれば経験から予測する事もできるでしょう。仏法を学べば、仏法についてはわかって来ます。しかし、命と言う事については、私達は、わかっている様で、実は何にもわかっていないのが本当なのでは無いでしょうか。「自分がなぜ生まれ、いつ死ぬのか。」そんな事は誰もわかりません。

わかっているとすれば「生まれた命は、必ず死ぬ」と言う事だけ。しかもいつ死ぬのかも私達には到底知る術は無いのです。


翌年には、親鸞聖人の750回の御遠忌を控えて、楽しみにしてきたのに、あんなに親鸞聖人が大好きで、勉強してきたのに。


なぜ?なぜ?なぜ?


Iさんは苦しんでいたのかもしれません。


私の一言。それも苦し紛れの一言に

わかっていたと思っていた自分が、実は何にもわかっていなかった。

と言う事に気付かれたのだろうと、後になって、私自身が気づかされました。


有りもしない用事を理由にして逃げる様にその場を後にした私でした。



それから、しばらくして年が明けいよいよ御遠忌の年となった2011年のまだ寒い頃に、Iさんは浄土に行かれました。


命をかけた、仏法問答であったのだと。気づいたのはその知らせを聞いてしばらくして、ボーッとした頭の中でIさんとの会話を思い出している時でした。


今でも、あの時のIさんが私の顔を指して言われた一言。

「おう!それや、それやのや!」

は、あの時のIさんの表情と共に、脳裏に焼き付いています。

私が必ず思い出す。大事な御同朋、御同行。




今頃は、親鸞聖人と酒でも飲みながら、聞法しておられるのかな?と思います。


そう思うと、死ぬのも悪くは無いと思います。

まあ、私にはもう少し先で良いのですが。。。






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