歎異抄を読む
京都 東本願寺から見える京都タワー
しばらくの間、歎異抄を読み進めようと思います。歎異抄とは、親鸞聖人の関東での直弟子のお一人唯円さんが書かれたとされています。「歎異」とは一体どんな意味があるのでしょう。「異なるを歎く」と言う訳ですから、親鸞聖人が60歳で関東から京都にお帰りになった後。親鸞聖人から教えを受けていたお弟子さん達の間に親鸞聖人から受けた教えとは違うものが出てきたのであろうと思われます。それを見ていた唯円さんが、親鸞聖人の教えではないと歎くと同時に、念仏の教えを後世に記さねばならないと言う思いもあってお書きになられたのだろうと思います。
実際に、私達念仏の教えを聞いた者であってもその教えを疑う訳ではないけれどもついつい念仏以外の事もやってしまう。念仏だけで浄土往生が叶うと言うけれど、四国参りをした方がより良いのと違うか?お寺だけでなく神さんも大事にした方が浄土往生がより叶うのと違うか?と。そんな事ってあるのではないでしょうか。それは、当人にとって見れば、良かれと思ってやってしまう。真面目で、宗教あるいは信仰と言う物と真摯に向き合っておられる方が得てして陥ってしまう事なんだろうと思います。
そんな私達に対して、親鸞聖人は言われいます。念仏に勝るべき物はないのだと。
これから先、唯円さんが残された「歎異抄」を手がかりとして、私自身の信心のあり方を自らに問うて行きたいと思います。
コメント
コメントを投稿