浄土真宗の信仰とは
浄土真宗の信仰とは
私が浄土真宗を学びはじめた頃、教えの師匠であるお寺の住職がこんな事をおっしゃっていました。「私たちは、これから親鸞聖人のことを学んでいきます。しかしそれは、親鸞聖人を崇め奉るために学ぶのではありません。親鸞聖人の歩んだ道を学び、それを通して親鸞聖人の頂いた信心の頂き方を学ぶのです。」この言葉は、私の信仰の原点です。この言葉があったからこそ、私は、信仰とは何ぞや?親鸞の信心とはいったい何であるのかを追い求め続けて来れたように思います。現在、宗教。とりわけ日本における信仰と言うと、自分の願いを叶えてもらうこと。仏教においては、法事や仏事は亡くなった方をより良い所へ送り出す儀式に過ぎないと考えている方も少なくないと思います。しかし、仏教も立派な宗教であり仏様は信仰の対象であります。ましてや、浄土真宗はその信心ということを多変大事にしてきた宗派であります。ところが、現状はといえばお寺は信心についてあまり語らない。仏事や、法事を執り行い、お布施を集めることに専念しているお寺が本当に多いように思います。親鸞聖人の頂いた信心とは何であるのか。そのことがどこかへ忘れ去られ形だけになった真宗を見たり聞いたりするにつけ、大変残念に思います。
浄土真宗における信心とは「南無阿弥陀仏」念仏です。
南無とは、インドの言葉で「ナマス」=「信じます」
阿弥陀とは「アミターバ」=「無限の光」
仏とは「ブーダ」=「悟りを開いた人」
つまり、念仏は亡くなった方を良いところに送り出す呪文でも、願いを叶える魔法の言葉でもありません。
まさに「南無阿弥陀仏」=「私は、無限の光である悟りを開いた仏様の救いを信じます」と言っているのであって、紛れもなく私自身の信仰の告白なのです。では、仏様の救いとは何であるのか?そのことについて今後少し語って行こうと思います。
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