地獄行の私の自覚
真宗を理解するうえで、自分が地獄に落ちる身であるという事を普通に生きている方が自覚することは難しのではないでしょうか?
いきなり「貴方は地獄に落ちるのですよ」と初めて会った人から言われたら、皆さんはどんな返事をなさるでしょう?
「はい、その通りです。」とお答えになられるでしょうか?
「えっ?何言うてるんや?あほか?」と怒りの気持ちを相手に対してお持ちになるのではないでしょうか?
普通の人は後者だと思います。
別に人殺しをした訳でもなし、何で私が地獄に行かなきゃならないんだ?そう思うのが当然です。しかし、仏教においては違います。仏教は、そんな法律に触れている触れていないなどという生易しいものではありません。私達は、毎日命を殺して食べて生きています。自分が直接殺していなくても、誰かが私が生きるために命を殺して、料理をしたものを自分が食べて生きているのです。何かの命を踏み台にして、私たちは生きているのです。
また、嘘を今までついたことが一度もないという人がいるでしょうか?
生きていく中で、お世辞を一度も言ったことのない人がいるでしょうか?
一度や二度はそんな嘘や、お世辞を言った経験はお持ちの事と思います。しかし、それで刑務所に行かなければならないわけではありませんし、それが元で地獄に行かなければならないなんて誰も想像はしないと思います。
しかし、仏教はそれを許しません。
嘘、二枚舌
戒律に反しています。ですから、そんな貴方は地獄行き決定なのです。
私は、20代の後半にあるキリスト教系の新興宗教に入信していました。
誰でもが良くご存知のあの教団です。
当時の私は、仕事にも私生活にも行き詰まっていました。どうして何をやっても上手くいかないのだろうと悩んだ挙句に、私自身の生き方もさることながら、先祖の犯してきた罪を償わなければ、今の人生そのものも変わらないと言われ、先祖の罪の復帰(蕩減復帰)を目指してその教団に入っていったのです。
今でこそかなり緩くなったと聞きましたが、当時はそれはそれは厳しい教えでした。キリストは、十字架にかけられて人間の魂は救われている。しかし、身の問題がまだ残されている。身を清め、綺麗な体になった人間が結婚をしてこの世に地上天国を作っていく。そのために、冬の寒い朝に、7杯の冷水を浴び、お祈りをして出かけていく。日曜日には教会で礼拝に参加する。酒、たばこ、異性との付き合い、すべて禁止でした。時には同じ目的を共有した兄弟姉妹との共同生活もありました。そんな共同生活を、私は耐えられずに3ヵ月で飛び出してしまったのです。そして、二度とその場には帰ることはありませんでした。もちろん先輩に話して戻るという事も出来たのだろうと思いますが、このまま恥をさらして戻るという事が出来ずに、ただ地獄行というレッテルを張って私は20年以上も生きていくことになるのです。
そんな、幸か不幸か地獄行のはっきりした私でしたから地獄行が浄土に行けると聞いて耳を疑うほど喜びました。
なんの修行も無くたった六文字「南無阿弥陀仏」と称えるだけ。
こんな簡単なことで?
ただし、その救いを心から信じれば。。。
信じる!心から信じる! 私の心はその時本当に救われたと感じました。
真宗の教えは、私にとって魂の救済だったのだと思います。
だからと言って私の生活が一変して品行方正に変わったかと言えばそうではありません。
お金持ちになったわけでもありません。実際私は2年前に離婚も経験しています。
しかし、私の魂は救われました。今もそれは確信しています。「念仏往生、これ真宗」なのです。
地獄行の自分の自覚。親鸞の信心の核心に触れていこうと思います。
そして、真宗の救いは死んだ後にあるのでは無い。実は現世での救いがそこにはちゃんと用意されていると言う事に触れていこうと思います。
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