真宗の僧伽と信心の沙汰


(大谷廟廟  虎石)
お寺での勉強会に参加していた方々の中にIさんと言う当時で70歳を超えていらっしゃいましたが、大変信心のはっきりした方がいらっしゃいました。言いたい事をハッキリ言われる方でした。そして、親鸞聖人の事が大好きな方でした。

勉強会は毎週火曜日の夜8時から10時まであるのですが、あの当時で10名以上の男女がいらしたと思いますが。住職からの講義形式の話を聞いたあと、気の知れた仲間と夜中1時頃まで話している事が殆ど毎回の様にあって、教わった事をどう理解したら良いのか?またはそれぞれの愚痴に至るまで、色々話して時の経つのを忘れて大の大人が話続けると言う、楽しい時間でした。住職はさぞかししんどかったと思いますが。。。

そんなある日、参加者の一人のお姉様がいらっしゃって、このお姉さまは、住職に出会って、住職の真っ直ぐな仏法への姿勢に惚れ込んでお寺にいらっしゃる様になられたのですが、朝早くにお寺のお掃除をされたり、色々お寺のお世話をなさって一生懸命に教えを聞いていらっしゃいました。

自力の教えも聞いてらしたこともあって、なかなかお任せすると言う事が理解するのは難しいのかも知れませんし、本来が、真面目な方ですからお寺の事も、真面目に一生懸命取り組んでおられたのだと思います。

そんなお姉様が、ある時、勉強会が終わった後で、ふとこんな事を言われたのです。
「私も、親鸞聖人の教えを聞いて、お寺のお掃除をしたり精進させて頂いてるから、死んだら少しは良い所に行けるかしら?」と。

この言葉が、Iさんに火を着けたのです。

Iさんは「何を言ってるか!ちょっとやそっと、良い事したからと言って、あんたの根性が変わるかいな。良い所になんか行けるわけないやろ!」

そして私に向かって「なっ⁉️」と同意を求めて来るではありませんか!

確かに、そうなんです、教えを聞いていればわかるのです。しかし、まだまだ聞き初めて間もない方ですし、私からすれば人生のかなり先輩です。同意をして気を悪くされるのは明らです。しかし、嘘はつけません。

躊躇しながら「う、うん。そうやね」

言ってしもた。。。

お姉様は恐らくムッとされて帰られたと思いますが、私は、この時、このIさんと「念仏」を通して根っこで繋がると言いますか、それまでの人生や、年齢を超えた絆がある事に気づいた瞬間でした。

親鸞聖人の事を勉強したら、そうか、そうなんだ。親鸞聖人は大変な人生だったんだな。親鸞聖人は凄いな!と崇めるのが学びでは無いと思います。そこから、私にどう落とし込むか。

親鸞聖人が何を私達に向かって語りかけているのかを、自分なりに咀嚼して、普段の生活の中で親鸞聖人の教えと共に生きると言う事が大切なのだと思います。そお言う意味で「信心の沙汰」が大切なんだろうと思います。

Iさんは年齢的にかも知れませんが、馴れ合い事はしない方だったと思います。が、しっかりとした信心を持っておられたのだと思います。そして私達を導いて下さった。

私にとって忘れられない出来事の一つです。

この事は、2010年頃の事だったと記憶しています。翌年にはIさんはじめ皆さんが待ちに待った親鸞聖人の750回の御遠忌を、翌年に控えた年の出来事です。





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